日枝神社 結婚式

ご祭神

 

主祭神…大山咋神(おおやまくいのかみ) 相殿にてお祀り…國常立神(くにのとこたちのかみ)・伊弉冉神(いざなみのかみ)・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)

   

大山咋神(おおやまくいのかみ)は『古事記』に記載がある神様。

山や水を司り、大地を支配し、万物の成長発展を守護し給います。

皇居の裏鬼門を護る神社でもあるということから

厄祓いや安産、縁結びなどをお祈りする方も多くいらっしゃいます。

日枝神社の社殿には、狛犬ではなく、猿が奉納されています。

御祭神の大山咋神の使いとされており、

神様の使いの猿「神猿(まさる)」と言われ、敬われていました。

「まさる」という音から「勝る(まさる)」「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、

勝運の神や魔除けの神として置かれています。

音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、

商売繁盛や縁結びの祈願を受けに来る方も多くいます。

本殿向かって左には子供を抱いた母親の神猿像(まさるぞう)が、右には父親の神猿像が安置されています。

母猿に「家内安全」「安産祈願」などを祈り、

父猿に「商売繁盛」「魔除け」を祈り、撫でる方が多くいらっしゃいます。

 

由緒 沿革

創建は戦国時代と言われていて 江戸時代には江戸城の裏鬼門をお護りする神社として

徳川家の保護のもと、多くの方が信仰していました。

現在の位置に遷移されたのは、明暦3年(1657年)に江戸で起こった「振袖火事」のあと。

徳川家が足繁くお参りするたびに、神馬や刀を奉納し、

現在でもその刀などが国宝や重要文化財に指定され、宝仏殿にて大切に保管されています。

その歴史の長さから、地元の方には「山王さん」という愛称で親しまれています。

 

社宝・文化財

国宝 太刀 銘 則宗

正保三年六月六日徳川徳松君の初宮参りの折に寄進されたもの。

徳松君は三代将軍家光公の第四子で、のちの五代将軍綱吉公。

則宗は鎌倉初期の刀工で福岡一文字派の祖であり、後鳥羽院御番鍛冶の 一人。

福岡一文字というのは、備前国福岡に在住したからの称呼で、

細身の腰反りの高い上品な姿は平安時代の趣を伝え、小丁子に小乱という古雅な出来。

附属太刀拵は江戸初期の製作です。

 

紙本著色 源氏物語明石・澪標図 六曲屏風

 

江戸時代中期の人気画家である英一蝶(本名・多賀信香)の作品。

小品が多い一蝶の作品の中で、屏風絵の作品は珍しく、貴重な名品です。

 

拝殿天井絵

御社殿御復興50年を記念して、国立東京藝術大学宮田亮平学長(現 第22代文化庁長官)監修のもと、

日枝神社草創期の武蔵野を彩った百花草木に鳥虫を加えた123枚の絵が上下拝殿の天井に掲げられました。

神前結婚式

ご結婚式という特別な1日。

神様に巫女の舞を奉納することで

お二人のこれからの人生を安らかにお見守りいただくようお願いします。

特に、日枝神社で奉納される「豊栄の舞」は

神の恵みに感謝するという意味が込められています。

普段神社にお参りしてもみることのできない巫女の舞。

ご列席の皆様には非日常感を感じていただけるお時間となります。

 

式次第

参進(さんしん)

修祓(しゅばつ)

献饌(けんせん)

祝詞奏上(のりとそうじょう)

誓詞奏上(せいしそうじょう)

夫婦固めの盃(ふうふかためのさかずき)

指輪の交換(ゆびわのこうかん)

豊栄の舞奉奏(ほうえいのまいほうそう)

玉串を奉りて拝礼(たまくしをたてまつりてはいれい)

親族盃の儀(しんぞくさかずきのぎ)

撤饌(てっせん)

 

境内案内

回廊(かいろう)

朱塗りの柱に紅色のカーペットがお二人を祝福します。

華やか、そして厳かな雰囲気の中で撮影されるお写真は、

白い衣装に映え、お二人の記憶と記録に残ります。