ご祭神

 

素戔嗚尊(すさのおのみこと)   奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)   大己貴命(おおむじなのみこと)

   

ご祭神である素戔嗚尊は、八岐大蛇から奇稲田姫命をお救いになり、ご夫婦となられました。

また大己貴命は、数々のご縁の「縁」により、国造りの偉業を成し遂げられました。

三柱の神様は、古くから「縁結び」を司る神様として信仰されています。

 

由緒 沿革

創建は天暦5年(951年)

江戸時代に入り、8代目将軍 徳川吉宗公が将軍職を継ぐにあたって現在地に現社殿を建立。

明治天皇より東京の鎮護と万民の安泰を祈る「准勅祭社」として定められ

その後現在では東京十社にも選定されています。

 

 

社宝・文化財

旧紀州家 櫓太鼓

   

天保10年(1840年)

古来より日本では、鳴り物・打ち物で時間や物事の始まりを告げました。

神社で打ち鳴らす太鼓を「号鼓(ごうこ)」と呼び、これには神事開始の合図のためだけでなく、

御社殿内を祓い清め参列者の心を鎮めるという意味もあります。

御社殿に設置されている櫓太鼓は、紀州徳川家の赤坂藩邸にあったもので、明治2年(1869年)頃に納められたといわれます。

 

花鳥図

長華崖 昭和4年(1929 年)

御社殿の天井絵(花鳥図)は、遷座200年を記念して長華崖(ちょうかがい)により描かれました。

花鳥図は、花や鳥を主として動植物がモチーフにされており、それぞれに長寿や子孫繁栄などの願いが込められています。

 

鳳凰図

宮部衆芳 昭和4年(1929 年)

壁間には宮部衆芳による「鳳凰」が描かれています。

鳳凰は平安・繁栄を象徴する霊鳥であり、聖君が登場し平安の世が築かれる前兆として舞い降りるといわれます。

神前結婚式

赤坂氷川神社独自の神事 ”御櫛預けの儀”日本神話『古事記』に、怪物 八岐大蛇(やまたのおろち)の生贄となる

奇稲田姫命を素盞嗚尊が櫛に変え、髪に挿して戦いに臨み見事退治をされた記述があります。

この御祭神の神話にちなんだ「女性の分身」といわれる櫛。

女性の分身ともいわれる「櫛」を新郎が新婦から預かることで新しい生活を二人三脚で営む決意を示す御祭神の神話に基づいた独自の神事です。

   

式次第

参進(さんしん)

修祓(しゅばつ)

祝詞奏上(のりとそうじょう)

三献の儀(さんこんのぎ)

御櫛預けの儀(みくしあずけのぎ)

誓詞奉読(せいしほうどく)

新郎新婦玉串奉奠(しんろうしんぷたまぐしほうてん)

指輪交換(ゆびわこうかん)

両家代表玉串奉奠(りょうけだいひょうたまぐしほうてん)

親族結盃(しんぞくけっぱい)

 

境内案内

四合稲荷(しあわせいなり)

明治31年(1898年)

神社の近くに鎮座していた古呂故稲荷(ころこいなり)地頭稲荷、本氷川稲荷、玉川稲荷の

4社を合祀したことに由来します。

幕末の志士 勝海舟により「四社を合祀」幸福の「しあわせ」、「志を合わせる」をかけ

四合稲荷(しあわせいなり)と名付けられました。

その後、大正14年(1925年)に鈴降稲荷と縁起稲荷を合祀し

さらに昭和9年(1934年)に明徳稲荷を合祀しています。

 

大銀杏(おおいちょう)

 

推定樹齢400年の大銀杏。

幹の周囲は約7.5mにもなります。御社殿が遷座する以前よりこの地に生育していたと考えられ、

江戸時代初期から歴史の変遷を見守ってきた赤坂氷川神社のシンボルといえます。

昭和20年(1945年)の東京大空襲により、幹の大部分を焼損することになりましたが、

毎年11月下旬に色鮮やかに黄葉し、見るものに生命力の強さと神秘さを感じさせます。